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顔は不思議だ
就職して、仕事で接客をするようになってから、顔についてはかなり気を使うようになりました。
皆さんは、余所行きの際などの顔の手入れにはどのくらい時間をかけ、何種類くらいの処理を行っているでしょうか?
僕の場合は、主として「毛の処理」と「肌の処理」です。
毛の処理について言えば、まず洗髪。それから眉を抜いたり剃ったり。また鼻毛も伸びていれば切りますし、髭も濃いので剃りまくりです。
また肌は、脂性なので洗顔は欠かせません。その上吹き出物が出やすいので洗顔の後でスキンローションを塗ります。その上に、髭剃り後の剃刀負け防止のクリームも塗ります。必要とあらば鼻パックも行います。
とまあ、こんな作業を日頃行っているとそれが「当たり前」になってなかなか改めて考える機会もありませんが、ふと思うことがよくあります。何故「顔」なのだろうか、と。そもそも「顔」とは何なのだろうか、と。
こんな風に顔のお手入れに時間と労力を費やすのは、考え方によっては滑稽であります。それでもこういったお手入れを行わずにはいられないのは何故でしょうか。
その答えは簡単で「顔はその人の第一印象に関わるから」です。
ではさらに突っ込んで、何故そこで「顔」が第一印象に通じるのでしょうか。胸では、腹では、手足ではどうして駄目なのでしょうか。
まず簡単に考えてみると、人体の構造上、顔は常に外に対して開かれている必要があります。それは目鼻口という器官が顔についているのですから当然で、そこを塞いだら社会生活が営めなくなります。同じ理由から、手先も基本的には常に剥き出しである必要があります。
ですから顔は剥き出しでなければならず、剥き出しだからこそ「目立つ」。そして目立つからこそ、その人の第一印象に関わる。だからお手入れをしなければいけない。――と、これが一番簡単な結論です。
だがしかし、そこでも「なぜ顔なのか」という問題は未だに残ります。同じ「剥き出し」「目立つ」という意味では、服装だって同じことです。もちろん服は第一義的には体を保護するものかも知れませんが、服装や身だしなみも立派にその人の印象に関わってきます。
そして服装についてはその時代や場所におけるモードというものがありますので、それに従う形で、社会の基準から逸脱しない程度のものを身に付けていれば良い訳です。余程ファッションセンスが必要な場所で無い限り、服装が個性的である必要はありません。
なのに、何故か「顔」はそれでは済まされません。そこに刻み込まれているのは剥き出しの個性です。顔が、単に目鼻口が付いているというだけの理由から偶然的に剥き出しになっている器官に過ぎないとすれば、
その人の第一印象は服装の方だけで判断されれば良いはずです。でもやはり、「顔」と「服装」は常にワンセットでその人の第一印象を構成します。
「目立つ」表面積だけで言えば、顔よりも服装の方がずっと大きいはずです。なのに僕らはまず顔を見てしまうのです。これはやはり不思議なことです。
また、顔が剥き出しになっている事実は、人間にとってもはやただの偶然では済まされません。どうも人間の体は、もはや運命的に露出すべき部分とそうでない部分に遺伝子レベルで分かたれているようにしか思えないことがあります。
それを一番実感するのは、吹き出物が出た時です。
吹き出物は、顔以外の場所にはあまり出ません。
出るとすれば体のどこかの毛穴が詰まった時や、お尻の「おでき」くらいでは無いでしょうか。
また、ボディソープと洗顔石鹸は分けて使った方が良いのも常識です。ボディソープのような強力な石鹸で顔を洗った場合は、スキンローションを塗って肌の潤いを整えておく必要があります。
それを行わないとどうなるか――肌の引きつりの感覚は身体の他の部位に比べると著しいですし、そのままにしておけばやっぱり吹き出物が出ます。
また毛を剃る場合も、剃刀負けを起こすのは顔以外のケースではあまり考えられない気がします。
まるで身体が、もしくは遺伝子が「顔は身体の他の部位と違って敏感だから気をつけろよ」と常に僕らにシグナルを送ってきているようです。
ですから、顔はただ偶然に意味も無く剥き出しになっているのではありません。顔全体が、もはや神経の一種です。
顔を媒介にして、僕らは肌荒れ、吹き出物、シワなどから体の不調を確認しますし。また自分の顔がどんな印象を相手に与えているか、そんな相手に対して自分はどんな態度を取るべきか、そしてその結果どういう場の空気が構成されるかを確認しています。顔はこうした認識のための媒介であり、神経であり、触覚であります。
もっとも、こんなにくどくど書かなくとも、五感を司る器官の殆どと、また脳が首から上に集中しているだけでも、人間の身体かもしくは神様が、生き物の首から上の部位を重視していることは明らかです。
この問題も、突っ込めばまだまだ色々な観点から語ることが出来そうですが…、今日はここまで。とりあえず「顔と言うのがいかに掴みどころの無い存在であるか」という内容でした。
■『文藝yaminave』全体の目次はこちらからどうぞ。
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皆さんは、余所行きの際などの顔の手入れにはどのくらい時間をかけ、何種類くらいの処理を行っているでしょうか?
僕の場合は、主として「毛の処理」と「肌の処理」です。
毛の処理について言えば、まず洗髪。それから眉を抜いたり剃ったり。また鼻毛も伸びていれば切りますし、髭も濃いので剃りまくりです。
また肌は、脂性なので洗顔は欠かせません。その上吹き出物が出やすいので洗顔の後でスキンローションを塗ります。その上に、髭剃り後の剃刀負け防止のクリームも塗ります。必要とあらば鼻パックも行います。
とまあ、こんな作業を日頃行っているとそれが「当たり前」になってなかなか改めて考える機会もありませんが、ふと思うことがよくあります。何故「顔」なのだろうか、と。そもそも「顔」とは何なのだろうか、と。
こんな風に顔のお手入れに時間と労力を費やすのは、考え方によっては滑稽であります。それでもこういったお手入れを行わずにはいられないのは何故でしょうか。
その答えは簡単で「顔はその人の第一印象に関わるから」です。
ではさらに突っ込んで、何故そこで「顔」が第一印象に通じるのでしょうか。胸では、腹では、手足ではどうして駄目なのでしょうか。
まず簡単に考えてみると、人体の構造上、顔は常に外に対して開かれている必要があります。それは目鼻口という器官が顔についているのですから当然で、そこを塞いだら社会生活が営めなくなります。同じ理由から、手先も基本的には常に剥き出しである必要があります。
ですから顔は剥き出しでなければならず、剥き出しだからこそ「目立つ」。そして目立つからこそ、その人の第一印象に関わる。だからお手入れをしなければいけない。――と、これが一番簡単な結論です。
だがしかし、そこでも「なぜ顔なのか」という問題は未だに残ります。同じ「剥き出し」「目立つ」という意味では、服装だって同じことです。もちろん服は第一義的には体を保護するものかも知れませんが、服装や身だしなみも立派にその人の印象に関わってきます。
そして服装についてはその時代や場所におけるモードというものがありますので、それに従う形で、社会の基準から逸脱しない程度のものを身に付けていれば良い訳です。余程ファッションセンスが必要な場所で無い限り、服装が個性的である必要はありません。
なのに、何故か「顔」はそれでは済まされません。そこに刻み込まれているのは剥き出しの個性です。顔が、単に目鼻口が付いているというだけの理由から偶然的に剥き出しになっている器官に過ぎないとすれば、
その人の第一印象は服装の方だけで判断されれば良いはずです。でもやはり、「顔」と「服装」は常にワンセットでその人の第一印象を構成します。
「目立つ」表面積だけで言えば、顔よりも服装の方がずっと大きいはずです。なのに僕らはまず顔を見てしまうのです。これはやはり不思議なことです。
また、顔が剥き出しになっている事実は、人間にとってもはやただの偶然では済まされません。どうも人間の体は、もはや運命的に露出すべき部分とそうでない部分に遺伝子レベルで分かたれているようにしか思えないことがあります。
それを一番実感するのは、吹き出物が出た時です。
吹き出物は、顔以外の場所にはあまり出ません。
出るとすれば体のどこかの毛穴が詰まった時や、お尻の「おでき」くらいでは無いでしょうか。
また、ボディソープと洗顔石鹸は分けて使った方が良いのも常識です。ボディソープのような強力な石鹸で顔を洗った場合は、スキンローションを塗って肌の潤いを整えておく必要があります。
それを行わないとどうなるか――肌の引きつりの感覚は身体の他の部位に比べると著しいですし、そのままにしておけばやっぱり吹き出物が出ます。
また毛を剃る場合も、剃刀負けを起こすのは顔以外のケースではあまり考えられない気がします。
まるで身体が、もしくは遺伝子が「顔は身体の他の部位と違って敏感だから気をつけろよ」と常に僕らにシグナルを送ってきているようです。
ですから、顔はただ偶然に意味も無く剥き出しになっているのではありません。顔全体が、もはや神経の一種です。
顔を媒介にして、僕らは肌荒れ、吹き出物、シワなどから体の不調を確認しますし。また自分の顔がどんな印象を相手に与えているか、そんな相手に対して自分はどんな態度を取るべきか、そしてその結果どういう場の空気が構成されるかを確認しています。顔はこうした認識のための媒介であり、神経であり、触覚であります。
もっとも、こんなにくどくど書かなくとも、五感を司る器官の殆どと、また脳が首から上に集中しているだけでも、人間の身体かもしくは神様が、生き物の首から上の部位を重視していることは明らかです。
この問題も、突っ込めばまだまだ色々な観点から語ることが出来そうですが…、今日はここまで。とりあえず「顔と言うのがいかに掴みどころの無い存在であるか」という内容でした。
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